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更新日:2022年5月24日

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調査研究報告要旨(令和3年度「仙台市博物館調査研究報告」第42号)

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新刊図録・目録調査研究報告機関誌仙台市史

令和3年度「仙台市博物館調査研究報告」第42号には、以下の論文等を掲載しました。

1 瑞巌寺本堂障壁画の芍薬―園芸熱を背景とする品種の描き分けについて― 

樋口智之

本稿では、元和6年(1620)から同8年にかけて制作された瑞巌寺本堂障壁画のうち、孔雀の間に描かれた芍薬について、10種ほどの品種が描き分けられていることに着目し、これは、人々による芍薬愛好と品種開発が進んだ当時の時代状況を反映したものであることを明らかにした。また、瑞巌寺を建立した伊達政宗も芍薬を愛好していたことを紹介し、制作を担当した絵師・狩野左京による政宗への配慮、もしくは政宗の意向による可能性も指摘した。

 

2 伊達氏の徳政

長澤伸樹

本稿では、戦国期伊達氏による「徳政」の実態とその歴史的意義について、おもに関連史料がまとまって確認できる伊達晴宗・輝宗父子の事例を中心に再検討を試みた。そのうえで、徳政が代替わりや対外戦争などの節目に集中して見られることから、伊達氏にとって家中統制や自己の権力基盤強化につながるという認識のもと、領国支配を下支えする政策の一つとして機動的に実施されていたことを指摘した。

 

3 伊達政宗の書状―形態と数量―

村岡淳子

『仙台市史 資料編 伊達政宗文書』全四巻および「伊達政宗文書・補遺(一)~(十四)」(『市史せんだいVol.17~30』所収)の成果をもとに、政宗の筆跡が確認できる資料のうち、特に数が多い「書状」について、発給年代を3期に分け、形態(右筆・自筆の別、花押、料紙)ごとに分類し、それぞれの数を示すことで、時期ごとの傾向を紹介した。

 

4 資料紹介 伊達政宗子息発給書状

黒田風花

仙台市博物館で所蔵している伊達政宗文書は、『仙台市史 資料編 伊達政宗文書』や『市史せんだい』収録の「伊達政宗文書・補遺」等で紹介されているが、政宗と同時代の人物の発給文書には未紹介のものも多い。また近年、他施設において政宗の子女に関する展示・刊行活動が行われてきている。これを受け、本稿では仙台市博物館で所蔵する政宗の子息が発給した書状について、未翻刻資料を中心に紹介した。

 

5 戦前期、仙台市の観光行政と「杜の都」の確立

中武敏彦

本稿では戦前期の仙台市政における「杜の都」の位置づけについて考察した。昭和初期まで「杜の都」は、工業化の遅れた寂しい都市というイメージで捉えられ、市政における位置づけも低かった。しかし、昭和10年代に仙台市が観光振興を重視すると、仙台市=伊達政宗騎馬像=杜の都というイメージが積極的に宣伝され、同時に観光振興策の一環として、緑化運動など「杜の都」の街づくりが都市政策の目標となったことを明らかにした。

 

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