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更新日:2024年7月11日
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レストラン ミュージアムショップ オリジナルグッズ 仙台市博物館刊行物
令和元年度「仙台市博物館調査研究報告」第40号には、以下の論文等を掲載しました。
浅野秀剛
対象とした仙台祭絵とは、仙台東照宮祭礼時に出版された版画(明治期は同種のもの)をいう。一つの渡物(山鉾)を大画面に大きく描いた大絵図と、一町の渡物を多数描いた小絵図に大別される。大絵図は三種に分類され、それぞれ大きさと制作年代が異なり、十九世紀初期以前の第一類は五十六図、それいこう幕末までの第二類は百十四図、明治期の第三類は十八図確認される。渡物名は画中に記しているが、典拠が不明のものも多く、分析は容易でない。江戸絵の影響もあるが、仙台の地域性を反映したもの、独創的なものも少なくない。また、同一主題の継承や、同一店での版木の流用も多かった。ともあれ、江戸時代に出された祭礼関係の版画は多いが、百年もの間、一つの山鉾を描いた大々判の図がこれほど多く伝存している例は他にないことを特記したい。
菅原美咲
平成30年に仙台市博物館に寄贈された「鷹匠半澤家資料」の概要について紹介し、略目録を掲載した。また、同資料群に含まれている伊達政宗文書6通や近世初期の鷹関係業務に関わる資料、および家譜等70点の資料について翻刻を掲載した。
明石治郎
天正期の戦国大名伊達政宗の書状の形態は、斐紙の料紙を多用し、本紙に封のない堅紙・堅切紙が中心であったが、豊臣政権との接触、豊臣大名化によって大きく変化する。料紙が楮紙に限られるようになり、折紙が多用されるようになるが、それに勝って、本紙にウハ書き・封のある堅紙書状の封式には捻封と結封の両様があるが、従来は捻封の方をもって「捻(撚)」とされてきた。しかし、『本光国師日記』の記述から、両様ともに「捻」と考え、その伊達政宗書状における有り様を述べたものである。
寺澤慎吾
本稿では、仙台藩で絵師、史官などとして活躍した佐久間洞巌(1653~1736)について、先行研究によりながら、その伝記と、新井白石や荻生徂徠ら儒学者との交友関係、主に致仕後に行われた作画活動等を紹介した。また、洞巌の原図をもとに版行されたという「陸奥国塩竈松島図」(享保13年刊)の重要性を確認した。
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