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更新日:2023年2月24日
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本丸跡の北部に位置する大広間は、本丸御殿の主要な建物で、藩主と家臣が対面を行う場でありました。
慶長15年(1610)に完成し、畳敷き部分で260畳、拭縁(ぬぐいえん)部(板敷)を含めると約430畳にも及ぶ大規模な建物であったと伝えられています。
<大広間跡の位置(北から撮影)>
平成13年度から平成21年にかけて行われた発掘調査によって、大広間の礎石や雨落ち溝跡、大広間の西側に位置する御成門跡などを発見しました。
<大広間跡北西部の発掘調査状況(北から撮影)>人が立っているところに礎石跡などがあります
仙台藩の大工棟梁千田家に伝来した姿絵図には威風堂々とした外観の大広間が描かれています。この絵図には縮尺が記されていることから、大広間は最高約17mの高さがあったことが分かります。別の絵図には、内部に様々な画題の障壁画や飾り金具が配されていたことが記されています。
大広間の西側には、御成門がありました。天皇家や将軍家といった人々は、この門を通って大広間に入ることになっていました。
<「仙台城及び江戸上屋敷主要建物姿絵図(千田家姿絵図)」左:大広間部分/右:御成門部分 江戸時代 仙台市博物館所蔵>
大広間の内部を描いた絵図は数種類ありますが、その中で発掘調査の成果とほぼ一致するのが、「御本丸大広間地絵図」です。
この絵図によると、名前の付けられた部屋は14部屋あります。伊達政宗はじめ、藩主が座った「上段の間」や、天皇や将軍を迎えた時に使うとされる「上々段の間」がありました。
<「御本丸大広間地絵図」江戸時代>
<「御本丸大広間地絵図」を参考に作成した平面模式図>
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