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更新日:2023年2月24日
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<登城路〔大手門から〕マップ>
大手門は、江戸時代の仙台城の顔とも言うべき建物で、二階建・瓦葺の豪壮な建物でした。
また、脇櫓は一部二階建の建物で、昭和6年(1931)どちらも国宝に指定されました。その後、昭和20年(1945)の仙台空襲で焼失しましたが、昭和42年(1967)脇櫓が再建され、ありし日の仙台城のようすを偲ばせています。大手門北側にある土塀は、昭和20年に大手門が焼失した際に被災を免れたもので、現在仙台城に残る唯一の建造物とみられます。
<左:焼失前の大手門と脇櫓><右:再建された大手門脇櫓>
<大手門北側の土塀>
大手門から本丸に上る道の途中に設けられた門です。二階建の建物で「寅門」とも呼ばれました。
門の前後で道が大きく屈曲しています。北側の石垣は、四角く加工した切石を使用し、南側の石垣は自然石や割石を使用しているという特徴があります。また、発掘調査では金箔瓦が出土しています。
門は、大正9年(1920)に取り壊されたといわれ、その部材が第二師団長官舎の門(現在の知事公館の門)に使用されたと推測されています。中門付近には明治4年(1871)から昭和4年(1929)の間、大砲が置かれ、仙台市民に正午を告げていました。
昭和52年(1977)に、北側の石垣の修復工事が行われています。平成15年には地震で南側の石垣の一部が崩れ、平成17年にかけて復旧工事を行いました。平成23年の東北太平洋沖地震でも被災したため、復旧工事を行いました。
<左:「仙台城及び江戸上屋敷主要建物姿絵図」(中門部分)江戸時代 仙台市博物館所蔵><右:中門跡の石垣>
<中門跡出土の金箔瓦>
「奥州仙台城絵図」(正保2年(1645))には、本丸への登城路に白壁の塀が描かれて、「見附塀」と記されています。現在は塀は残っていませんが、その付近には石組側溝が部分的に残っています。かつてはこのような側溝が登城路沿いにあったものと考えれます。平成15年に行った発掘調査では塀の跡は見つかりませんでしたが、塀瓦が多数発見されており、塀に用いられたものと考えられます。
<左:「奥州仙台城絵図」(見附塀部分)正保2年(1645)仙台市博物館所蔵><右:石組側溝跡>
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