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更新日:2024年9月27日
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仙台城本丸は、東側が広瀬川を臨む断崖であり、西側を「御裏林」と呼ばれる山林、南側を竜ノ口渓谷が囲むという天険の要害をたくみに利用した山城です。
本丸の広さは東西245m・南北267mという諸大名の城郭の中でも最大級で、築城後まもなく仙台城を訪れたイスパニア(スペイン)の使節ビスカイノは「この城は当国にある最強で最良の城のうちの一つである」と賞賛しています。
<北東から見た仙台城跡 平成26年撮影>
絵図や文献の記録によると、本丸の北側には大広間や御成門(おなりもん)のほか、東側の崖に面した懸造(かけづくり)へ建物が連なっていたようです。
本丸の南側には藩主の私的空間として、「奥」の建物があったと考えられます。
<「仙台城及び江戸上屋敷主要建物姿絵図」(懸造部分)江戸時代 仙台市博物館所蔵>
本丸の正門である詰門(つめのもん)は、本丸の北側に設けられていました。絵図によると、二階建・瓦葺で、棟には鯱瓦(しゃちがわら)がのせられていたようです。門の両脇には、三重の櫓(やぐら)(東脇櫓・西脇櫓)が建てられていましたが、正保3年(1646)の地震で被災したとみられます。現在は、門の礎石が2基だけ残っています。
<「仙台城及び江戸上屋敷主要建物姿絵図」(詰門部分)江戸時代 仙台市博物館所蔵>
<詰門跡の礎石と石組側溝>
本丸跡の北側に位置する大広間は、本丸御殿の主要な建物で、藩の政治や儀式を行う場でもありました。慶長15年(1610)に完成し、畳敷き部分と縁側を含めて約430畳にも及ぶ大規模な武家御殿建築であったと伝えられています。明治時代の初めころに取り壊されたといわれています。
<遺構表示整備が行われた大広間跡>
巽櫓は本丸跡の南東部に位置し、「奥州仙台城絵図」には、入母屋(いりもや)造りの瓦葺の屋根を有する三重櫓で、北側に付櫓(つけやぐら)と見られる平屋建物が描かれています。正保3年(1646)の地震で被災した後は、再建されなかったとみられています。平成14年に実施した発掘調査では、櫓の土台となる石垣や礎石跡などが確認されました。
<巽櫓北側の付櫓の石垣>
本丸の北側と北西部には石垣が築かれています。本丸詰門に向って左側を本丸北壁石垣、向かって右側を本丸北西石垣と呼んでいます。
本丸北壁石垣は、四角く加工された切石を使用した布積みの石垣です。美しい反りを持つ石垣で、最も高いところは約17mの高さがあります。平成9年から16年にかけて、解体修復工事が行われています。
本丸北西石垣は、北壁石垣とは異なり、場所によって使用される石材の形や積み方が違っています。これは、石垣が築かれて以降、地震などによる修理が部分的に行われてきたことを示していると考えられます。平成23年に発生した東日本大震災で、3か所で石垣が崩落しましたが、平成27年3月に復旧が完成しました。
<本丸北壁石垣>
<本丸北西石垣>
本丸の西部にある門です。石垣に沿って進み、左に折れたところに二階建ての門が建てられていました。昭和53年(1978)の宮城県沖地震と、平成23年(2011)の東日本大震災で石垣が崩落しましたが、平成26年3月に復旧が完成しました。
<酉門跡の石垣>
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