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更新日:2023年2月24日
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本丸北壁石垣背面の盛土や石垣基部から、約40トンもの大量の瓦が出土しています。文様のある丸瓦では、三巴文、珠文三巴文が半数以上を占めています。文様のある軒平瓦では、桔梗文が最も多く、三葉文、花菱文が次ぎます。伊達家の家紋である三引両(みつひきりょう)や九曜(くよう)などの瓦もありますが割合は少ないものでした。家紋瓦については、二の丸跡や三の丸跡の発掘調査の結果、二代藩主忠宗の頃から使用されていたことがわかっています。
<巴文軒丸瓦>
<桔梗文軒丸瓦>
<三葉文軒丸瓦>
出土した大量の瓦の中から金箔瓦が56点見つかりました。桔梗文軒平瓦、桐文軒丸瓦、棟込瓦菊丸、鬼瓦(菊花)、鯱瓦があります。金箔瓦は、織田信長に使用が始まり、豊臣秀吉へその使用権限が移る、というように政治的な意味合いを持っていました。仙台城跡から出土した金箔瓦は、日本でも最北に位置する城郭からの出土となりますが、江戸時代の初期の徳川幕府と仙台藩の関係や、江戸時代における使用目的など、今後も研究が必要です。仙台城では、本丸跡以外では、中門跡からも金箔瓦が出土しています。
<金箔瓦 菊丸>
<金箔瓦 軒平瓦>
本丸からは滴水瓦とよばれる、瓦の正面が逆三角形状の軒平瓦が出土しています。この瓦は元々朝鮮半島で使われていた形式ですが、秀吉による朝鮮出兵後、全国各地の大名の城郭などに使われたものです。
本丸出土のものとよく似た花菱文の滴水瓦が、松島の瑞巌寺や利府町の窯跡、伊達政宗が晩年を過ごした若林城跡などから見つかっています。
<滴水瓦>
<(参考)若林城跡出土の滴水瓦>
本丸跡から出土した瓦には、鯱瓦の破片が200点以上あります。鯱瓦は、屋根の最上部となる大棟の先端部などを飾る瓦で、絵図でも櫓や城門の屋根に描かれ、戦災で焼失する以前の大手門や脇櫓の上にも飾られていました。防火のため葺かれた瓦屋根を飾る、さまざまな鬼瓦や鯱瓦には、装飾的な役割とともに火伏せの意味が込められています。金箔がほどこされた破片も数点見つかっており、各種の金箔瓦が建物の屋根を飾っていたようです。
<鯱瓦>
<(参考)大手門古写真 棟の両端に鯱瓦があります>
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