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ページID:16962
更新日:2024年2月1日
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<掲載資料>
(まつに やまどりず)
作者 |
東東洋(あずま とうよう) |
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形質 |
紙本金地着色 |
大きさ(cm) |
各 縦167.0 横157.0 |
年代 |
文化6年(1809) |
指定 |
仙台市指定文化財 |
松の巨木を襖4面に描いた作品。枝には山鳥が羽を休めている。筆者の東東洋(1755~1839年)は、石越(現在の宮城県登米市石越町)の出身で、20歳になる頃京都にのぼり、円山応挙や呉春(ごしゅん)の影響を受けつつ、独自の画風を築いた。寛政8年(1796)仙台藩の御用絵師(ごようえし)を命じられ、文化6年(1809)仙台城二の丸再建時の障壁画制作にも携わった。本作品はこの二の丸障壁画の一部と推定されるものである。なお東洋は、同じく江戸時代後期に活躍した仙台地方出身の小池曲江・菅井梅関・菊田伊洲とあわせて、仙台四大(しだい)画家と呼ばれる。星野胞吉氏寄贈。
(くじゃくず)
作者 |
小池曲江(こいけ きょっこう) |
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形質 |
絹本着色 |
大きさ(cm) |
縦111.3 横55.0 |
年代 |
寛政10年(1798) |
指定 |
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塩竈出身の小池曲江(1758~1847年)が描いた孔雀図。曲江は南蘋派(なんぴんは)に学んだ。南蘋派は中国・清の画家 沈南蘋(しんなんぴん)の花鳥画の影響を受けた一派で、濃密な彩色で細かく写生するのが特徴である。本作品は曲江が得意とした孔雀図で、美しい孔雀の羽毛を、群青・緑青・金泥などで精緻に描いている。なお曲江は、同じく江戸時代後期に活躍した仙台地方出身の東東洋・菅井梅関・菊田伊洲とあわせて、仙台四大(しだい)画家と呼ばれる。石原謙太郎コレクション。
(ばいげつず)
作者 |
菅井梅関(すがい ばいかん) |
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形質 |
絹本墨画 |
大きさ(cm) |
縦162.0 横89.0 |
年代 |
江戸後期 19世紀 |
指定 |
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仙台出身の画家、菅井梅関(1784~1844年)の最も得意とした墨梅図(ぼくばいず)の代表作。月下の白梅を、墨一色で描き出す筆力は見事である。なお梅関は、同じく江戸時代後期に活躍した仙台地方出身の東東洋・小池曲江・菊田伊洲とあわせて、仙台四大(しだい)画家と呼ばれる。新津宗助コレクション。
(ろうかくさんすいず びょうぶ)
作者 |
菊田伊洲(きくた いしゅう) |
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形質 |
紙本墨画淡彩 |
大きさ(cm) |
各 縦157.0 横332.0 |
年代 |
江戸後期 19世紀 |
指定 |
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仙台出身で、仙台藩の御用絵師をつとめた菊田伊洲(1791~1852年)の作品。右隻(うせき・右図)に夏、左隻(させき・左図)に冬の景色を描いている。伊洲は江戸の木挽町狩野家に入門して、基礎的な技術を身につけ、また谷文晁など狩野派以外の絵師とも交流して幅広い画風の作品を生み出した。なお伊洲は、同じく江戸時代後期に活躍した仙台地方出身の東東洋・小池曲江・菅井梅関とあわせて、仙台四大(しだい)画家と呼ばれる。伊澤家コレクション。
(えのしま ちごがふち ちょうぼう ・ かなざわ のうけんどう ちょうぼうず ついたて)
作者 |
司馬江漢(しば こうかん) |
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形質 |
絹本油彩 1基 |
大きさ(cm) |
各面 縦109.3 横78.8(衝立本体 縦150.0 横90.3) |
年代 |
寛政年間(1789~1801年) |
指定 |
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江戸時代後期の洋風画家として知られる司馬江漢(1747~1818年)の作品。片面には江の島(神奈川県藤沢市)の南西側にある岩場・稚児ヶ淵からの風景が描かれ、もう一方の面には、金沢八景(武蔵国金沢村(現在の神奈川県横浜市)周辺にある8つの名所の総称)を見渡せる景勝地・能見堂が描かれている。いずれも空や海にさわやかな水色が使われ、遠近感のある構図や岩肌の陰影表現などに江漢の特徴が表れている。各面には画題および落款が墨書され、朱字で欧文サイン「Si Kookan」も記される。江漢の油彩風景画は寛政年間(1789~1801年)を中心に制作されており、本図もその頃の作品と考えられる。また、江漢作品としては大型の作品で、特に衝立(ついたて)形式は類例がなく貴重である。本作は石巻市内の旧家の蔵に残され、東日本大震災で津波被害を受けながらも奇跡的に救出された作品である。勝又紳一郎氏寄贈。
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