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ページID:16982
更新日:2024年2月1日
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<掲載資料>
(だての くろばこ(かんぶんじけん かんけいしりょう))
作者 |
各務采女(かがみ うねめ)ほか |
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形質 |
木箱・紙本墨書 |
大きさ(cm) |
縦30.0 横27.0 高24.0 |
年代 |
寛文11年(1671) |
指定 |
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寛文11年(1671)3月27日、幕府大老酒井忠清の屋敷での取調べのさなか、仙台藩奉行原田甲斐宗輔が、一門涌谷伊達家の安芸宗重を斬るという刃傷事件が発生した。3代藩主伊達綱宗の隠居からこの刃傷事件に至る一連の経過は、後に伊達騒動ともよばれた。この資料は事件が発生した日から4月15日までの間に、事件の事後処理について、幕府や仙台藩邸、国許の間で交わされた文書243通を納めたもので、俗に「伊達の黒箱」と呼ばれるものである。伊達家寄贈文化財。
(かいこくへいだん)
作者 |
林子平(はやし しへい) |
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形質 |
木版 |
大きさ(cm) |
縦27.0 横18.1 |
年代 |
寛政3年(1791) |
指定 |
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『海国兵談』は林子平の代表的な著書で16巻、3冊からなり、日本が四方を海で囲まれた「海国」であることに注目し、海辺の守りについて著している。その中でロシアの南下に注意をうながし、外国に対するための軍備を早く整えることを主張し、海上での戦いや大砲による戦いの重要性を説いている。1000部を目標に出版をはじめたが資金が足りず、寛政3年(1791)、わずか38部を刊行した。しかし、翌寛政4年(1792)に幕府の命令により版木を没収され、仙台での蟄居(ちっきょ)を命じられ、出版中止となった。
(こどもあそび まめでっぽうの かっせんの ず)
作者 |
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形質 |
木版色刷 |
大きさ(cm) |
縦35.0 横24.2 |
年代 |
江戸末期~明治 19世紀 |
指定 |
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慶応4年(1868)1月から明治2年(1869)5月にかけての戊辰戦争(ぼしんせんそう)を、子供の豆鉄砲遊びに託して風刺したもの。向かって右が奥羽越列藩同盟側。左が新政府側。
着物の模様などからどこの藩か分かるようになっており、例えば伊達家の家紋は竹に雀なので、右上で竹柄の着物を着て、仙台豆の袋を持っているのが仙台藩をしめしている。左下にいる長州藩は、居城のある萩にちなんだ萩柄の着物を着ている。
(こうべいにちろく)
作者 |
玉蟲左太夫 |
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形質 |
10冊(巻1・6・7は各2冊) |
大きさ(cm) |
縦24.5 横16.4他 |
年代 |
万延元年(1860) |
指定 |
仙台市指定文化財 |
万延元年(1860)に幕府正使の従者として渡米した仙台藩士・玉蟲左太夫(1823~1869年)が、使節の巡見先で見聞したことをまとめた記録。アメリカの民主主義社会や工業生産力の高さ、欧米列強の植民地支配の現状を詳細に書き綴っている。8巻では玉蟲の旅行中の本音や所見も収められている。玉蟲左太夫関係資料。
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